日本クラブバスケットボール連盟は日本におけるクラブチーム(社会人)バスケットボール競技の統括団体です。
第2回大会以降、東京、愛知、千葉と各地持ち回りで、日本バスケットボール協会の運営で開催されていたクラブチームの大会も、登録チーム数が増大する中、クラブ連盟設立の組織作りの機運が出て来た。
第9回全国クラブチームバスケットボール選手権大会が、昭和58年(1983年)3月に京都府で開催されたが、その初日の3月20日に会場の京都府立体育館会議室において、全国クラブバスケットボール連盟が設立された。
初代会長に太田裕祥氏、理事長に馬渡猛氏を選出し、全国クラブ連盟としての活動を開始した。
昭和50年(1975年)3月、第1回全国クラブチームバスケットボール選手権大会が、東京都で開催された。日本協会加盟のどの連盟にも所属しない一般クラブチームの選手権大会で、バスケットボール愛好の一般社会人チームが集まり、全国9ブロックの代表男女各16チームがトーナメントで選手権を競った。
第1回大会、昭和49年度(1974年度)の優勝チームは、男子/甲南クラブ(近畿)、女子/宇女商OG(関東)であった。
昭和59年度(1984年度)に全国で登録するクラブチームが1600となり、翌年度は1800、更に年を追って1900、2200と飛躍的な増加を示し、平成10年度(1998年度)には、2850チームに増加した。
選手権大会に参加するチーム数も、第1回から第10回までは男女各16チームであったが、第11回から第19回まで男女各24チームとなった。第20回は記念大会で男女各32チーム、第21回から24回までは男28チーム、女24チームで開催、第25回大会は記念大会として男32チーム、女28チームが参加した。以降は男32チーム、女28チームで継続した。第35回大会より男女32チームとした。
昭和61年度(1986年度)の理事会で全国クラブバスケットボール連盟は、日本クラブバスケットボール連盟と改称した。従って大会名も、昭和62年度(1987年度)に京都に於ける第14回大会(昭和63年3月)から、全日本クラブバスケットボール選手権大会と名称を変えた。
昭和58年(1983年)3月の連盟発足時、太田裕祥(愛知)会長と馬渡猛(静岡)理事長に各ブロック選出の常任理事9名と事務局で活動を開始した。昭和63年度(1988年度)から副会長2名、平成元年度(1989年度)から副理事長3名体制とした。
平成3年度(1991年度)に佐田武夫(群馬)会長が就任、副会長を3名とし、平成9年度(1997年度)から副会長を5名とした。平成15年度(2003年)より副会長1名で平成7年度(1995年度)に武藤昌弘(佐賀)理事長が就任、副理事長1名をおき、2年後に副理事長を2名とし、平成7年度(1995年度)から新しく常任理事による総務、競技、普及の専門委員会を設け、組織の充実強化を図る一方、日本バスケットボール協会の協力を得て、審判委員会を設置し、初代委員長に鈴木保行(東京)氏が就任し審判員の養成に力を入れる体制を作り組織を充実した。平成13年(2001年)より稲垣進司(徳島)理事長が就任し平成14年(2002年)に古島加寿夫(栃木)会長となり副理事長は3名(沼田秀郎・茨城)(小田正勇・福井)(川島寿彦・岐阜)で、平成17年度(2005年)規約改正より武藤会長、柴田弘(愛知)副会長、稲垣理事長、副理事長(沼田・川島・真石邦明・山形)の新体制となり、また各総務・事業企画・広報・競技普及強化委員会に委員を理事より推薦し委員会を充実し現在に至っている。
ブロック代表の常任理事は当初各1名づつ選出されていたが、昭和62年度(1987年度)から6年間、正・副理事長選出の関東、東海、近畿の各ブロックから常任理事1名を追加選出した。その後各ブロック1名の常任理事に復したが、平成17年(2005年)規約改正時に副理事長3名・常任理事11名・各専門委員会に理事・他より委員とし8名を入っていただき又、審判も鈴木保行・木葉一総(東京)氏より現在は小澤勤(山梨)氏となり協力体制をとり組織の充実を図った。平成21年役員改選で会長稲垣進司(徳島)副会長(柴田・沼田・真石)3人体制に、理事長片山正明(大分)副理事長長谷川豊(鳥取)野口照行(東京)が選出され新体制になった。